こっち(WEBディレクター6年目)について【芸術系大学】グラフィックデザインを学んでEC業界・ホームページ制作会社に入るまでの道のり

こっちについて

このブログを見てくださった方、ありがとうございます。WEBディレクターをしておりますkocchi(こっち)と申します。まずは私について、経歴などを書かせていただきます。私がどんな人間か知っていただくためのものなので、おふざけ半分な記事になりますが…ご容赦ください。

私は高校3年の受験日3か月前に進路を決めた人間です。それまで芸術系の試験の準備などは一切していませんでした。そんな私が今WEBディレクターとして仕事ができている経緯を見ていただき、これから芸術系の大学、広告代理店などの制作会社を目指す方の参考になれば幸いです。

長いので、目次から興味のあるセクションを読んでください。

※画像は自分で制作したものです。

★kocchiプロフィール★
  • 氏名:kocchi(こっち)→perfumeのあーちゃんに似てるということで旦那につけられたあだ名(しかし名前の由来はのっちから来ている謎)
  • 年齢:30代
  • 出身地:静岡県
  • 現在住んでいるところ:名古屋市
  • 配偶者:あり
  • 仕事:WEBディレクター(6年目)
  • 趣味:デザイン・カラオケ・推し活
  • 好きなもの:美容・ファッション・コスメ・宇宙・鉱物・推し
  • 嫌いなもの:虫・自分よりも弱い立場の人間を痛めつける人
  • 特技:旦那のボケに的確にツッコミを入れること(あるいはその逆)

ひたすら描いた【幼少期~中学時代】

■幼少期~小学校時代

私は静岡県静岡市(旧清水市、のちに静岡市と合併して静岡市清水区となりました)で生まれました。ちびまる子ちゃんが有名ですね。富士山がはっきりと見え、天気がいい日にはとても鮮やかで力強い姿を見ることができます。静岡人あるあるですが富士山が見えるからと言って特別に思うことはありません。(違う!最高だら~!という同郷の方スミマセン)それが普通なので…他県に行った時に静岡出身だと告げると「富士山が毎日見れていいね~」なんて言われますが、子供ながらに自分はとてもいい環境で生まれたんだなと思い直すこともありました。「海・川・山」全て近くにありますから、自然に触れる機会はとても多かったように思います。そのため小さいころから自然の中で絵を描くことが普通で、よく水彩画を描いていました。

私が絵を熱心に描きはじめたのは物心つくよりも前…父の影響です。父は【イラストレーター】をしており、「絵を描く」ということが日常に溶け込むような生活を送っていたためです。(父についてはまた次の機会に)学校で時折行われるイラストコンクール的なもので何回か入賞しました。夏休みの宿題などでも図画工作をすることもあり、立体を作るときは祖父(大工なので)、絵は父にアドバイスを受けて頑張って作っていましたね。

■中学時代

中学でも絵は描き続けました。毎日机に向かってひたすら好きな絵を描いていたような気がします。(今よりも描いているかも…)昔のイラストを見ると恥ずかしくなりますね…漫画も描いていたのですがその時のノートのタイトルとかを見るとほんと穴に入りたい。その時はカッコイイと思ってたんでしょうね(苦笑)当時ハマっていた「blue」というプレステのゲームに影響されすぎて付けた「深海」ってタイトル…まだこれはマシな方ですが、記憶喪失になった美少女が自分の記憶を探して深海にある記憶のかけらを集めるって話でした。企画はいいのかな…でも話の展開が早すぎて…しかも私はそれほど絵の才能があるわけではないので説得力がなかったですね。

そんな黒歴史もありつつも、やはり描いた分だけ自分の力となって返ってくるのは言わずもがななので、うまくなるためにひたすら描いていたような気がします。中学時代は漫画に興味が出始めたことで好きな漫画や雑誌のモデルさんをひたすら模写していました。見えない部分も描けるようにならなければ絵は上手くなりません。その前段階として「見たままに描く」を重視してやっていました。

後悔の連続【高校時代】

■好きでもない勉強を頑張る日々

「学校がきれいだから」という安直な理由で入った高校…私の人生で一番落ちていたのがこの高校時代かもしれません。県内では進学校だったので、そこそこ勉強も頑張らないといけない環境でした。毎日小テストがあり、宿題も多かったです。初回のテストでいい点数をとってしまったがために、それを維持することをしなければならなくなり…授業では必ずと言っていいほど当てられ…勉強を頑張らなければいけない環境にうんざりしていました。元来興味のないことを勉強するのは苦痛と感じる方で、学校の勉強は好きではありません。母が教育に熱心な人だったので塾や勉強の教材などを十分なぐらい与えてもらったことは幸せな事だと思いますが…正直別の高校を選んでいたら、人生変わっていたかもしれないと「タラレバ」を口にしてしまうことは今もあります。

ただ、悪いことだけではなかったというのも伝えておきたいです。学校で就職が決まるわけではないのですが学生時代に頑張ったことが多い人は就活の時に信頼を得やすいと思います。私は勉強や部活などを両立して頑張ってきたことがかなり評価されました。

でも…あの頃の私に声をかけるとすれば、「高校時代に何をやるかで将来がある程度決まる。周りに流されず、失敗してもいいから自分が本当にやりたいことをやるんだ!」です。

芸術や音楽は理解がないと「将来仕事になるの?」と思われてしまい、両親に反対されることもあるかもしれません。親に言われたから…仕事にするだけの能力はないから…そういった理由で諦めようとしている方がいるのであれば私はこう言いたいです。

「やって後悔するよりもやらなくて後悔する方がずっとつらい。1度きりの人生なんだから挑戦あるのみ!」

そして、その決断は早ければ早いほどいいのです。ちなみに父は幼少期から絵の仕事をするということを決めていたそうです。そんな人生設計ができる人はごく稀ですけどね…だからと言って遅いからダメというわけではないです。新しいことに挑戦するのに年齢は関係ありません。ただ、早くはじめればそれだけ選択肢を増やすことができるということです。

話を元に戻しますが、この頃は日々勉強が忙しくて絵をほとんど描かなくなりました。自分が好きなものって何だろう…何がしたいんだろう…悩みに悩み…進路も決まらないまま高校3年生になりました。

芸術の道へ【転換期】

■父と娘のデッサン教室

あと3か月で大学受験…そんな時に私はまだ進路について悩んでいました。内申点がよかったので、国立の大学へ推薦で行けることが決定していました。ひたすら勉強をし続け、努力してきたことがここでやっと報われる…という、本来であれば万々歳な場面だったのですが…「このまま決めていいのか?本当にやりたいことだったのか?」その自問自答を繰り返した結果、私は父に相談することにしました。

私「進路悩んでるんだけど…推薦のところ…特にやりたくもないんだよね。…だからと言って今から芸術系って遅いよね?」

父「やりたいことを好きにやればいいんじゃない?絵をやりたいなら今からでも十分間に合うよ。3か月みっちりデッサンやろう。」

父のこの言葉によって受験日3か月前から急遽進路が決定しました。高望みはできない&そもそも選択できるだけの技術がないので県内で入れそうな芸術系の課がある大学を探して受験することに決めました。毎日デッサン!デッサン!デッサン!まずは基本の立方体をひたすら描きました。

主にパースの描き方の練習です。その後円錐や多角形など複雑な形を練習していきました。何事も基本が大切…応用が上手くなりたければまず基本です。

実際の試験で出されるのはかなり複雑な形状のものが多いので、本来であれば基本はもっと前に終わらせておくのがいいのでしょうが、私には時間がありませんでした。父は以前から私の絵に対して何か物申すことはしなかったのですが、この時ばかりは「父と娘」ではなく「先生と生徒」。かなりみっちり指摘されました…ただ、高校時代に描かなくなったものの幼少期から描いてきた絵の力は残っており、受験直前にはある程度形は仕上げることができました。

■私が3か月のデッサンで練習したもの

  • 立方体などの基本の形
  • コップ
  • 果物
  • 缶などのアルミ製品
  • 植物
  • 皿などの陶器
  • ガラス、水などの透明なもの
  • 証明などの灯り
  • 紙・テープ
  • 服などの布製品
  • 自画像

■大学受験

ついに受験日当日。私は緊張していました。絵を勉強してきた人なら誰でも感じたことのあることだと思いますが、「周りの人間がみんな自分よりもうまく見える」のです。どんなに練習をしてきたからと言ってその不安はぬぐい去ることはできません。自分自身との闘い…私が受けた大学は高校から芸術系の専攻がある方もたくさん受験されており、大きなBOXにたくさん鉛筆が入っていて(いやいやそんな使わんやろ!!とツッコミをいれつつ)鉛筆をこなれた感じで彫刻刀やカッターで尖らせているような…いかにもたくさん描いてきましたよ!みたいな人が多かったので余計に緊張しました。

■大学試験(実技試験)のお題

■A大学お題

  • 真ん中に四角い空洞がある長方形の花瓶
  • 2本の紙テープ
  • 水が入った透明のグラス
  • 花と草

■B大学お題

  • 缶(多角形)のみ!!!!!

有名な芸術大学のお題がどうなってるかわかりませんが、普段目にすることのないようなものばっかり…私はデッサン塾に通っていたわけでもないので「ナニコレ」状態からのスタートでした(汗)はじまってから数分もしないうちに「カリカリ・ザッザッザ」という鉛筆の音が鳴り響きます。「やばい…みんなもう構成を決めている…私も早く描かないと…」大学は2つ受験しましたが、どちらもそのような感じで空気にのまれましたね…でもあきらめず、今までやってきたことをしっかり思い出して、最後まで描き切りました。

高校時代はストレスの塊だったので、本当に暴飲暴食で太りましたね(言い訳)受験が終わってやっと解放されました。本当に辛かった…

学びが多かった【大学時代】

■大学に合格!大学生活スタート

落ちることはないだろう…と鷹をくくってはいましたが、実際に自分の番号を確認して安堵しました。「やっとこれで自分が本当にやりたい道に進める」そう思ってワクワクしたのを今でも覚えています。同じ高校の友達もいないので、友達探しから始めなければいけなかったのと、今まで芸術系を目指している友達などもいなかったのでどんな感じなのか想像できず…仲良くできるんだろうか?もしかしてみんなライバル的な感じで仲良くなれないんだろうか?など不安もありましたが、そんな不安は必要なかったみたいです。

自分と同じような人が多かったんです。同じような悩みや好きな事を持っている人が多かったです。そのためとても気が合いました。選んだ大学は本当にいい大学でした。友達もいいし、先生もいい。とにかく毎日が楽しかった。一生の付き合いになる仲間ができました。

もちろん授業での制作が主になりますが、自分で制作することも必要です。大学はあくまでも考え方を学ぶ場所。どれだけ作品を作ったかで成長スピードは変わります。私の大学のカリキュラムは下記のような流れでした。

■大学のカリキュラム

■大学カリキュラム(4コースに分かれています:平面・立体・環境・ビジュアルデザイン)

  • 1年:全部のコースをやってみる
  • 2年:コースの選択
  • 3年:ゼミの選択(選んだコースの中からさらに分野が細かく分かれます)
  • 4年:ゼミの活動・卒業制作

私は4つのコースの中で「ビジュアルデザイン」を選択しました。これは主にPCで制作するコースです。グラフィックデザインや映像制作などに該当します。本当はこの時絵画に進むつもりでいたのですが、仕事のことを考えると…PCができた方が…今後のことを考えるとそちらの方がいいのでは?と思い直してコースを変えました。この判断は私的には正しかったです。のちにこの選択がとても活きました。

卒業制作は1年間用意されていました。題材は今注目されている「ピクトグラム」。私は「言葉なしに想いを伝えるピクトグラム」というものを作りました。200個ぐらいですかね?ひたすらアイディアを絞り出しましたが最後の方はやっつけになっていたかも…例えば「お腹がすいている」というのを「視覚的に人に伝える」というようなものです。今でいうLINEのスタンプみたいなもんでしょうか?ピクトスタンプとかあるのかな?

■社会人へ行く前に私が大学時代に授業以外でやったことをご紹介

  • 自主制作(グラフィックデザイン・Flashなど)
  • グループ展(メンバーを集めてギャラリーを借りて展示会をしました)
  • 美術館巡り
  • デッサン

静岡を飛び出して栃木へ【社会人1年目】

■すんなり決まった就活

楽しい大学時代もあと少しで終わり…みんなが大嫌いな就活をしなければならなくなりました…

大学の授業の中で私はただ広告を作るのではなく、商品を企画するような仕事がしたいと思うようになっていました。静岡名物こっこの新商品を考える、今までにないチロルチョコレートの企画をする…などなど…企画から考える授業が自分に合っていると思い、商品企画に携われる会社にエントリーしました。

お気づきかもしれませんがこの時点で私はデザイナー職を選びませんでした。ブレブレやんって思ってる方もいるかもしれませんが、実際大学を卒業した人の半数以上が芸術系に関係のない仕事を選んでいるんです。有名な大学じゃないからデザイナーになれないの?と思う方もいるかもしれませんが、そうじゃありません。ちゃんと自分の作品を作ってポートフォリオをまとめて、やりたいことを明確にしていればデザイナーにはなれるでしょう。デザイナー職に進んだ人も一定数居ました。

デザイナーになれた人に共通しているのは「普段から制作しているか」です。会社にもよりますが、「どんなことができるのか」はとても重要です。制作会社は教育する時間をろくにとれるものではないので、普段から自主的に学ぶ姿勢で臨める人材を求めています。教えてくれるのを待っている人ではそもそも続かないでしょう。

※補足:私のコース以外に進んだ人はさらに就職先を探すのが難しそうでした。(絵画・立体・建築など)立体デザイン出身で食品サンプルの会社に入った人もいましたね。

私は勉強することはできても、制作意欲を保ち続けるだけのメンタルが足りませんでした。ものすごく飽き性で…せっかちな性格なので作りたいものはあってもそれを形にする力が自分には足りないと感じました。なので作る側ではなくアイディアを出す側になろうと思ったんです。

それ以外にもデザイナーになれない理由として、まず仕事がない…という理由もあります。現在はどうかわかりませんが当時はデザイナー職の募集が本当に無かった。特に私は県内で就職を考えていたので余計求人が少なかったかもしれません。

私はその少ない求人の中で熱海の会社に目を付けました。その会社はおみやげの企画販売や化粧品の販売まで幅広くやっている商社でした。「1年目から商品企画ができる」「通信販売事業部がある」この2点に惹かれて会社を受けました。するとスルスルと選考が進み、大学4年の4月にはもう内定がでてしまったんです。

■入社したらまさかの県外

熱海の会社に晴れて入社し、新入社員研修を経て人事が決まりました。その会社は全国に営業所があり、営業職や販売職であれば転勤があります。私は本社を希望していたこともあり、県外になるという頭がなく…(アホ)県内で働けるものだと思っていたのですが、人事がでたのは栃木にある事業所だったんです。

「まさかの…栃木…うそやん」

しかも希望していた職種ではなく…販売職でした。正直そこで辞退しようとも考えましたが…1年目はみんなそんな感じで2年目から異動可能とのことだったので1年頑張ってみることにしたんです。

■栃木で店舗運営

今も夢に出ますが栃木での仕事は本当に本当に…肉体的に辛かったです。店舗運営なのでお店を運営することが仕事です。朝の6時ぐらいから夜の10時ぐらいまでずっと立ちっぱなしで仕事をしていました。イベント時などは日を超えることも…

私はそこで飲食店の業務と、スイーツ販売などを行っていました。一番長くやったのはソフトクリームの販売です。夏だと最大で1日に2000本とか売れました…ソフトクリームだけで1日に100万の売り上げになるんですよ…コワイコワイ

シャッターを開けるともうすごい行列で…朝から晩までソフトクリームを巻き続けました。そのおかげ?もあってソフトクリームを巻くことだけは誰にも負けないと思います。その技術を買われてSAなど、外の売店で販売する仕事も経験しました。どこかしらでソフトクリームを購入された方は私が巻いていたかもしれませんよ(笑)飲食店のホールもやっていたのでバッシング技術もそれなりにありますよ。(そんな技術ナイ)

栃木から沼津へ-通信販売企画部に異動【社会人2年目~5年目】

ついに念願の部署に異動になりました!かねてからアピールしていたおかげ?もあってすんなり異動が決まりました!通販業務がスタート!栃木から静岡県沼津市にお引越しです。

営業職でもあるので、他の会社の方とのやりとりもたくさんありました。クライアントとして広告代理店の方と話すことも多かったです。通販なので新聞の折り込みチラシや新聞広告、ラジオ、通販番組などなど。販売企画は多岐に渡りました。やることはそれなりに多かったですが、もともとやりたいことだったので苦ではありませんでした。大学時代にillustratorやPhotoshopを勉強してきたこともあり、通販サイトの更新やPOP・チラシ制作などでも活躍できたことで「自分がやってきたことは無駄じゃなかった」と思えることができました。

もちろん商品企画の仕事もありました!1からメーカーを探して商品を企画・販売するところまでを一人で行いました。その時流行ってたグリーンスムージーに美容に良い成分を入れたものを企画して作りました。それ以外にも化粧品の商品企画にも携わりました。

本当にいろんなことを経験させてもらい、当時は「めっちゃ忙しい辞めたい」って思っていましたが…今となってはあの時の経験があったからこそ今の自分があるなと思っています。

転職・名古屋へ【社会人6年目~現在】

■結婚・転職を考え始める

その後沼津にずっといましたが、26歳で彼氏と別れ、そこから特に出会いもなく…そろそろ結婚も考えないとな…とぼーっと考えていたところ、インフラ系の会社に勤めている2つ上のRさんという人に出会いました。とにかく笑いのポイントが合うので話していて楽しいし、楽だなと思っていたところ向こうもそのようで…付き合うことになりました(冬)

今思うと20代に付き合った人はみんなどこか…(別でお話します)だったので、もうこれ以上の出会いはないかもしれないなと思っていました。元々名古屋の人で、静岡に転勤で来ていたので彼が名古屋に戻るタイミングで私も名古屋に行くことを決めました。

丁度その時にはある程度仕事も覚えていた状態で、次のステップに進む段階だったのですが、WEB業界に興味を持ち始めていたタイミングだったため、思い切って転職を考えました。またこの業界も…本当に名古屋には求人がないんですよ…東京本社の会社で名古屋支店がある!とのことでそこに的を絞ってエントリーしたところ、これまたスルスルと選考が進み、内定をもらいました。

■転職~2社目の会社について

  • WEB制作会社
  • ディレクター職
  • ポートフォリオなどはなしでOK
  • 職種未経験OK

ディレクター職であれば作品がなくてもOKというところはある程度あると思います。ただ、制作もできるアートディレクター職・マーケティング兼ディレクターなど会社によって求められるスキルは異なるため、ディレクターといっても仕事内容に違いはあります。転職するときにあったスキルは★マークのみでした。

■ディレクター職で歓迎されるスキル

  • illustrator・Photoshopの知識★
  • アナリティクスなどの効果測定の知識
  • SNS運営経験★
  • 接客業★
  • WordPressの知識
  • CSS・HTMLの知識(場合によってはPHPも)
  • SEOの知識
  • 通販(カラーミー・BASEなど)の知識(立ち上げからわかるとなおよし)★
  • ライター経験★
  • 校正・薬事などの知識★
  • DTP、ポスターの制作経験★

その他いろいろ…あげればたくさんありますが、一部のみを書きました。

■新しい職場!WEBディレクターとして再スタート

WEBディレクターとして働き始めて1年がたったころにRさんと結婚しました。今のところ特に修羅場とかもなく(笑)日々を過ごしております。ここから現在につながるわけですが、今回はここまでとします。WEBディレクターとしてやったことに関してはまた違う記事で。

まとめ

Kocchi的人生設計の基本

  • 何者かになりたければ決断は早い方がいい。(その分選択肢が増える)
  • だからといって遅いからダメというわけではない。やりたいことはいくつから始めてもOK!
  • 継続は力なり。何事もやり続けることが自分の糧となる。
  • 高校時代に何をやるかである程度将来が決まる。
  • 自分が本当にやりたいことは何なのかを見つけて、失敗してもいいからやってみる。
  • 自分のやりたいことではなく人生の安定を考えて選んだ道は失敗や後悔することが多い。
  • 同じ目標を持っている友人を見つける。
  • 一見無駄かと思える経験も役に立つことが必ずある。
  • 自分の成長のためであれば転職を考えてもよい。

★幼少期~中学時代…やりたいことを見つける

★高校時代…やりたいことを突き詰める

★大学時代…やりたいことを仕事にするためのスキルを身につける

★20代…失敗してもいいからひたすら挑戦

★30代…20代の経験を元に成功体験を積む

自論なので、間違っていることもあるかもしれませんが…私はこれを大切にして今までやってきたと思います。あの時こうしておけば…そう考えることはみんなあると思います。ただ、その時間もまた今の自分を作っている一部です。私は大した人間ではないですが、やってきたことは理にかなっていると思っています。唯一人に負けないことといえば「継続力」でしょうか。継続は力なり。ちりも積もればなんとやら…あきらめずにやることが大切です!

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